名馬・タイキシャトルについて
2022年8月17日。
タイキシャトルの訃報が伝えられた。
タイキシャトルといえば、最強の短距離馬として長らく競馬史上に語り継がれた名馬である。
筆者は、ぎりぎりリアルタイムでレースを見ていた世代である。
1997年には、3歳にしてマイルCS→スプリンターズSと秋のG1を連勝。
※当時は、現在と違って、スプリンターズSは12月に行われていたため、この順番が正しい。
1998年には、安田記念→ジャックルマロワ賞(フランス)→マイルCSとG1を3勝。
そして引退レースとなったスプリンターズSではまさかの3着敗退。
(筆者はこの引退レースが印象に残っており、”競馬に絶対は無い”を思い知らされた)
通算成績は13戦11勝と、抜群の安定感を誇った名馬であり、
日本馬の海外G1に勝利したのは、この馬が”ほぼ”初めてである。
※実は1週間前にシーキングザパールがモーリスドゲスト賞を制覇したために、
日本馬初の海外G1制覇とはならなかった、という経緯があるため、”ほぼ”と表現した。
タイキシャトルは、4歳を最後に引退し、種牡馬となった。
種牡馬としては、ウインクリューガー、メイショウボーラーの
2頭のG1馬を含む数々の重賞勝ち馬を輩出した。
自身の成績が凄かっただけに、やや期待を裏切ったと言えるかもしれないが、
メイショウボーラーからは後継種牡馬も出ているほか、
BMSとしても何頭かのG1馬を輩出しており、その血はしばらく血統表に残りそうだ。
タイキシャトルの引退後、本馬を超える成績の馬はしばらく現れず、
長い間、日本歴代最強短距離馬、と言われていたが、
2012年、2013年に香港スプリントを連覇したロードカナロアの出現により、
ようやく日本歴代最強短距離馬の称号を譲り渡すことができた。
その間、約15年。
現役時代のタイキシャトルが見せた安定感とパフォーマンスは、それだけ圧倒的だった。
タイキシャトルが人々の記憶と競馬史に刻んだ偉業は、いつまでも色褪せることは無いだろう。